結婚して最初の年賀状です。嫁さんのお父さんには「日本中に恥をばらまいているようなもんや!」と叱られました。
杏子が生まれた直後に届くことになる年賀状です。生まれるまではもっぱら「きっと男だよ!」と言われていたのですが、生まれてびっくりでした。
一人娘で絶好調の杏子でした。晴子はこのときから10年以上、本Webのアドレスでもある“ママチャリダー”です。
竜蔵はまだ「カゲはあるけどカタチはない」頃です。杏子はいよいよ絶好調です。私の実家に勝手に電話していたのもこのころでした。
ついに竜蔵の登場です。赤ん坊の頃から飄々としており、余り手の掛からない奴でした。
年に3回の車での帰省が辛くなってきたので、今のFREDAを買ったときです。何の気はなしにカー・ディーラーへ寄り道したのが運の尽き、「屋根が上がる車」にすっかり魅了されてしまいました。今でも子供の友達には人気です。
相模原市上矢部の借家へ引っ越したときです。この伸びやかな環境で4年半も暮らしたことで、うちの子供達は伸び伸びと育ちすぎ、いろいろと禍根を残すことになります。
問題児、ペー様(麟平)の登場です。この頃は風呂が大嫌いで苦労しましたが、ある日突然、風呂好きになり、さすが気まぐれ母ちゃんの息子だと感心した次第です。
年賀状もだいぶんと凝ったものになってきました。生活パターンもほぼ今と同じですね。
特に晴子の裸姿が物議を醸した年賀状です。歴代の年賀状で「これがもっとも良かった」という方も良くいらっしゃいます。
ついに借家を追い出されることになり、2月にはマンションに転居することになります。「次の葉書を待て!!!」と書いた割には、次の葉書は1年後になったのでした。
最近の年賀状としては比較的おとなしいものになりました。この時点では今年最大の話題である「家の新築」に触れるわけにはいかず、発想も萎み勝ちでした。
家の新築も成り、「こんな家なんだゼ!」とやりたいところですが、「そんな幸せ一杯の年賀状を貰ってもオモロナイ!」と関西出身の私達夫婦は、ひたすらウケ狙いで知恵を絞ったのでした。
うちの子の中では一番、賢い奴かもしれません。少なくとも一番、静かなのは確かです。